当会の成り立ち

当会の成り立ち

10代後半の頃より、Muay Thai(ムエタイ/タイ王国発祥)のジムに通い始めました。当初より、武術における様々な技術を習得したいと考えていたため、大学の部活では日本拳法(にほんけんぽう/日本発祥)を、加えて跆拳道(テコンドー/朝鮮発祥)の道場にも通い、技術の補完を目的として、スタイルの異なる3つの闘技を同時期に学びました。日拳は、総合スタイル(打・極・投)ですが鉄面装備のため、ハイキックをヒットさせると自分の足も負傷するケースもあり、自ずと使用する足技の技術が制限される傾向にあります。跆拳道は、試合ルールにおいてパンチよりもキックのポイントが高いため、足技が高度に発達している一方で、拳技が自ずと制限される傾向にあります。また日拳と跆拳道の試合ルールになく、ムエタイでスタンダードな技術は、ヒジとローキックでした。この、3つの闘技経験と技術が、プロテクティヴ・アーツの基礎となっています。

1998年には、跆拳道の神奈川県大会において、相手の攻撃(拳技、足技ともに)を一度もヒットさせることなく優勝。日拳では「摺足(すりあし)」と呼ばれる移動技術を用いて攻防を行いますが、跆拳道ではフットワーク(ステップワーク)を用います。また日拳において「直突き(縦拳)」という、ノー・モーションから最短の軌道で相手へ打ち込む拳技があります。足技だけでなく、跆拳道では練習することのないこの2つの技術を試合に活かすことで、相手へのポイントとダメージを重ねることができました。この点は、技術の優劣ではなく、慣れない技術には即応することが難しい、ということに過ぎません。その試合を機に、より自分に足りないと感じる技術への好奇心が深まりました。

当時、親友の石井順(いしいじゅん)氏より、パーソナルトレーニングの依頼を受け、週に2回の指導を行っておりました。彼は努力を惜しまず、1999年には、広島で行われた跆拳道の中国四国大会で見事に優勝を果たしました。2人で武術交流会を開き、空手、柔術、合気道、少林寺拳法、中国武術、ボクシング、カポエイラ、キックボクシングなど、様々なスタイルの方々と練習をするという取組みも行いました。その活動の中で、5つの技術に着目して体系化した闘法がプロテクティヴ・アーツの原型です。石井氏には、パーソナルトレーニングの継続かつ、闘法体系化のためのスパーリング・パートナーとなっていただき、技術研鑽に尽力いただきました。その後、私は福岡へ移住しまして、2005年より正式に「実戦闘法プロテクティヴ・アーツ」として会を開き、現在に至っております。(福岡へ移住する際、武術交流会は解散しましたが、その後、石井氏は鎌倉で「ホワイトファング」というチームを開かれ、新空手交流大会で幾度も成績を残されました。文中ではございますが、2006年に不慮の事故により急逝された、創始の協力者でもあった石井氏のご冥福を心よりお祈りいたします。)

私達は、先人の方々の恩恵により、戦争のない平和な日本に生かされています。当会でいう「実戦」の意味は、もちろん戦争など対象としておりません。ただし、平和な日本とは言いつつも、一部では学校における「いじめる・いじめられる」という悲しい出来事や、対人関係トラブルによる暴力事件、無差別に自分より力の弱そうな人を狙った傷害事件など、日々のニュースで次々に目にする時代です。無くすことはできませんが、少なくとも目の前で起こることがあるならば助けたい、そのように思います。今まで学んだこと、研鑽したことを、同じ気持ちを持つ人へ伝え、助ける心と技術を持った人が少しでも増えて欲しい、そのように思います。

以上、当会の成り立ちと、理念と言える想いを綴ります。

実戦闘法 プロテクティヴ・アーツ
指導員  おの こうじ